「うたのなかやま」 (しりとりうた)

【歌詞】

うたのなかやませいがんじ せいがんじの おっさん ぼんさんで

ぼたんに からしし たけにとら とらおうて はしる わとうない

わとない おかたに ちえかそか? かそかに みえる あわじしま

しまのさいふに ごじゅうろう ごろう じゅうろう そがのこと

よどのかわせの みずぐるま くるままちじゅう はやりうた

 

 

歌の中山 清閑寺 清閑寺の 和尚さん 坊さんで

牡丹に唐獅子 竹に虎 虎追うて走る 和唐内

わとないお方に 知恵貸そか かそかに見える 淡路島

縞の財布に 五十両 五郎十郎 曽我のこと

淀の川瀬の水車 車町じゅう はやりうた

 

しりとり歌で、有名なお話や深い意味などが入っている

おもしろいわらべうたです。

イラストにしてみました。

歌詞の意味を、ゆうまあまが調べた範囲で、載せておきます。

 

*牡丹に唐獅子 竹に虎 → 

獅子は、百獣に君臨する王といわれます。

その無敵の獅子でさえ、ただ一つだけ恐れるものがある。

それは、獅子身中の虫です。我身の体毛の中に発生し、

増殖し、やがて皮を破り肉に食らいつく害虫です。

しかし、この害虫は、牡丹の花から滴り落ちる夜露に

あたると死んでしまいます。

そこで獅子は夜に、牡丹の花の下で休みます。

獅子にとっての安住の地が、そこに在ります。


また、アジア大陸の広域に生存する虎も、猛獣ですが、

その数5千頭から7千頭と、将来絶滅が心配されています。

虎は、象には勝てません。群をなした象には、歯が立ちません。

そこで逃げこむ処が竹薮の中です。巨体は竹薮に入られず、

また、竹薮に入ると、象牙にヒビが入ります。
その昔、杣人そまびとは、象牙のパイプを竹薮へは持って

入らなかったということです。青竹に象牙は禁物です。

従って、虎には竹薮が何よりの安全地帯であり、依所であります。

「牡丹に唐獅子、竹に虎」という、古来より耳にし目にする

絵図ではありますが、そこに彫り込まれているメッセージは、

「あなたの依所よりどころは、何んですか。 あなたが安心して

 身を寄せられる安住の地は、どこに在りますか。」

と、あなたに問いかけています。

 

*和唐内 → 

江戸時代の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」(こくせんやっかせん)の  

主人公。人食い虎を怪力でねじ伏せて従わせた。

 

*淀の川瀬の水車 → 

「淀の川瀬の水車誰をまつやらくるくると」で有名な

淀の水車は、淀城の淀川沿いの城壁に2つあって、

1つは淀小橋下流宇治川桂川の合流する辺り、

もう1つはさらに下流の庭園近くに取付けられていました。

もともと宇治川筋には古来より灌漑用の水車が

あったと言われており、淀においても淀城が出来る

以前に住んでいた河村与三右衛門の屋敷に水車があったと

「淀下津町記録」には記されています。

 

*五郎十郎曽我の事 → 

十郎が五歳の時、父が工藤祐経(くどうすけつね)に殺されました。

そのため母の満江は、曽我祐信と再婚し、十郎・五郎の兄弟は、

ここで成長し、いつか父の仇を討ちたいと心にきめていました。

建久4年(1193)5月、源頼朝は、大勢の武将を引き連れて、

富士のすそので大巻狩(まきかり)を開きました。

曽我十郎・五郎、工藤祐経らの武将も頼朝のお供をしました。

巻狩の夜、富士のすそ野は大あらしでした。

意を決した十郎、五郎は、猛雨をついて祐経の館を襲い、

祐経の首を討ち取り、父のうらみをはらしました。

『勝山記』には、「建久四 五月二十八日、曽我親の敵を討つ、

富士すその。」と、あります。

 

*縞の財布に五十両 → 

人形浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」より

早野勘平のためにおかるを祇園へ百両で売り、その半金五十両

縞の財布に入れて帰路を急いでいたおかるの父、与市兵衛。

彼は斧九太夫の息子定九郎に追いはぎされて殺されてしまい、

十両が定九郎に奪われてしまう。

定九郎はその後猪狩をしていた勘平に誤って撃たれて死んでしまい、

勘平は定九郎が持っていた五十両を、与市兵衛のものと知らず

持って帰ってしまう。

 

*歌の中山 清閑寺 → 

京都市東山区東部、清水寺の南西にあたる、清閑寺近くの地名。

また、清閑寺の俗称。かつて、この寺の僧、真燕が、門前で

美しい女を見そめ、「清水への道はどういくのか」と話しかけると、

女は「見るにだに迷ふ心のはかなくて誠の道をいかで知るべき」と

いいすてて姿を消したという説話で知られる。

 

*わとないお方 → 気ばしりのない人

 

動画はこちらです。↓

 

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